SSブログ

若草物語 ナンとジョー先生 1~6話 [アニメ]

懐かしの世界名作劇場愛の若草物語の続編~
ということで、若草物語の主人公、ジョンが大人になり、子供達の自由と才能をのびやかに育てるための、普通の学校とは少し違う、少し変わった風貌の学校による教育方針・・・
そんな学校を卒業し、大人になった主人公ナンが懐かしの場で、過去を思い出し物語が始まる・・・
今回の主人公のナンは、過去のジョンと同じく女の子にしておくには惜しいくらいに勝気で元気で・・
手の付けられない所もありますが、それは女の子として、一般的には女の子らしくないいわゆるお転婆・・
という枠にあてはめられる、そんな少女なので・・
現代社会にもいえること・・
親に、先生に教えられることだけをやっているようでは、子供の教育にはならない・・。
かといって、現代の若者のように、大人の存在意義を完全に切り捨て、目上の人間からの教えをまったく必要とせず、自分達だけの感性でやっていこうとする・・
というのも、又どうかな~
なんて、今と過去を見比べて思うのです・・。
そういう意味では、この作品はどちらの方面においても、素晴らしい教育方針の作品。
悪いことは悪いと注意はするけれど、子供の感性を決して踏みにじるようなことはしない
罰を与えるのは、あくまで子供達に自身で考える能力・・
独立心を磨くためのもの・・
怒って終わり・・
それが教育というものとは違うし・・・
怒られて終わり・・というのも学びではない・・
人に言われたことだけをするのではなく、反省するにしろ、今後どう気を付けていくかにしろ・・・
そして、何かに夢中になって打ち込むことにも・・
自身で考え行動してみなければ身につかない
そのためには、大人の存在も必要。
子供達だけの世界では視野の広さには限界がある・・。
若い子達にしか理解できない、豊かな発想・・
年長者ならではの、堅実で社会的ルールや規則に基づいた知識・・
どれも大事だし、又、良し悪しもある・・
なので、両方のいい所をとっていけばいいのでは・・
そんな風にナンを見ていると思います。
彼女はお転婆だけれど、人を無意味に傷つけたりはしない・・・
人の好き嫌いはあるけれど、だからといって相手を憎に虐め返したりはしない・・
大人のいうことは窮屈だけれど、いっていることの意味がわからないわけじゃない・・
先生の部屋に入るとき、ちゃんとノックもするし、敬語も使うことだってできる。
空気が読めないわけじゃない・・。
ただ、普通の人よりも、ずっと豊で自由すぎる感性がある・・。
その才能に気づけるかどうかも又、大人の能力次第・・・
何か夢中になれるものを見つけることのすばらしさ・・・
というものは、私自身色々経験がありますので、本当にこれだけは誰にも譲れない!
なんて思えるくらいに好きな物があるのって、本当に幸せです♪
というか、昔、オタ活動に夢中になっているとき、趣味があるのって羨ましい、毎日幸せそうでいいね~
なんてことを、身内に言われた記憶があり・・
その言葉は、結婚した主婦にになった今も忘れられません。。
だからといって、私のオタ活動に賛同するわけでも、同調してくれるわけでもなかったのですが・・・・・
だからこそ、余計忘れられないのかも・・(笑)
けれど思うのです・・
好きなこと、やりたいことを行うためならば何でもしていいというわけではない。
大人が子供との約束ごとをもちかけるのは、大人が子の身を案じているから
約束を守ることは、結局は子供自身が自分の身を守ることになる
その約束を破った時、親が子供を叱るのは、自ら危険な行為をしたことを学ばせるため。
大人が子供を叱るのって、意味のないことではないのです。
まあ、中には大人の都合で怒ってしまうこともあるでしょうけれど・・
大人は子供を守る責任と義務があり、同時に子供への愛情表現でもある。
そうやって、厳しくしかられて子供は自分の過ちを見つめ直し反省することができる
二度と罰を与えられるのが嫌ならば、同じことをしなければ良いだけのこと・・
そのためにどうすればいいか、考えればいいだけのこと・・
そして、それ以上に、親が何故自身を怒ったのかを見つめ直すこと・・。
自由と身勝手は本当に違う。
自由って、最低限の守られた規則やルーロがあり、それらを守るからこそ、自由というものが存在する
上司に認められたいとかいっておきながら、上司との付き合いを嫌がるというのは、社会的ルール違反ではないけれど、道徳的にかけているものがあるかな~
なんて思いますし・・。
嫌だからやらない、やりたいことだけをしていたい・・
そんなのは、それだけの能力がある人がいえることなのでは・・
上司との付き合い面倒だし嫌だけど・・
というのを、最低限踏まえた上で、上り詰めていく場所なのでは・・
なんて思います。
苦労せずに、自分の好きなことだけやっていけるのなんてほんの一握りな気がしなくもないです。
勿論、自分の実力ためして、玉砕するか自身の望むものが手に入れられるか・・
手に入れた後、ちゃんとそれが長続きしていけるかどうかは、本人のいう能力次第でもあり・・。
そして、学校で学ぶのってなにも生徒だけじゃない。
学びを得るのは先生も一緒。
勉強は子供の義務・・
でも、勉強は難しくてなかなか好きになれる子は少ない。
勉強を好きになれる子は、頭の良い子か、努力するのが好きな子だろうな・・
なんて思わされす。
そう、勉強の得意な子、苦手な子、それぞれ色んな子供達がいて、そういう子供達とどう接していけばいいか・・
それを、教師も又学ばなければいけないし、学場なんだろうな・・
多分、子供をバスの中で放置したり、教育ではなく、己の感情のままに手を振り上げ暴力を振るう教師は、自身への学びを忘れてしまった、教育者としての心構えの持てていない無知な人達だろう・・
なんて思います。
できないからと、頭ごなしに怒鳴るのではなく、頑張れるように共にその子と一緒に歩き頑張っていく・・。
そういう環境下なのが、理想の学校であり、あるべき学校の姿・・。
にしても、本当、今の教師って教師がしなくてもいいような仕事・・
インターネットのホームページ作りとか、そんなの作らなくてもいいんじゃないの?
的な、無駄な仕事が増えてしまっているのはなぜなのだろう・・
なんて思います。
後勉強の両も、増やせばいいというわけでもないでしょうし・・
学校の教科書も必要以上に分厚いのは、今の教員のレベルが低いから、教科書以上のことを教師が教えることができない。
だから、教科書は分厚く詳細に記されている・・
ようなことを聞いたことがあります。
今日はここまで、続きは又来週~
という授業のやり方も、今ではそれでは授業の内容量が多くおいつかない・・
なんてこともいっていましたが・・
お勉強って、教科書の中身だけ知っていればいい・・
というものでもないと思うんですよね。
教科書通りのことを覚えるなんて、ロボットでもできることですし・・
子供に必要な豊かな感性ってものを、もっと磨いて欲しいです。
言葉の意味を正確に理解できない、読書のできない若者が増えていっては社会人になってから大変なような気がします。
大事なのは相手のことを思いやって、言葉の真意を読み取る能力とか、人が生きていく上で、社会の中で生きていく上で一番必要不可欠だろうに・・
なんてことを、昔の子供時代、そして、この作品を見て心を温めつつ思わされました~♪
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:アニメ